「自分が作成した学習指導案を、他の教員が実践する」皆さんだったら、どう感じますか。
良い学習指導案・優れた実践だと認められた証として、喜びを感じるでしょうか。推敲や議論に時間と労力をかけ、添削されて何度も書き直した学習指導案を、いとも簡単にコピーされることに怒りや悲しさを感じるでしょうか。あるいは、知っている人がコピーするなら許すでしょうか。知らない人の方が、うれしいでしょうか。著作物に関する考え方は人それぞれです。だから、作った人が決める使い方のルールである「利用規約」があります。
著作権法上は、アイデアは著作物ではありません。しかし、学習指導案はアイデアと呼べるような簡単なものでしょうか。著作物の定義である「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ではないかと私は思います。
学習指導案のみならず1コマの授業、教具、教室掲示、行事運営などの全てを「著作物」と言いたい、というのが私の考えです。教室のレイアウト、給食の配膳手順、ロッカーの整頓の仕方すら、私には著作物に見えます。それは「アイデア」という軽い言葉では到底片付けられない、教員の経験やこだわりに基づく表現があることを知っているからです。
著作権は被害者である権利者が告訴しなければ、侵害者を処罰することはありません(親告罪)。冒頭の例で言えば、始めに学習指導案を作った教員が、使った教員を著作権侵害で訴えるかどうかです。作った人がどう考えるかにゆだねられています。
使う人が作った人への敬意を持つことにより、お互いの意識や行動が変わるでしょう。使う人が「この学習指導案は、○○先生を参考にしました」と書いたり、言ったりするかもしれません。もし、私が作った側なら「使っていいですか」の連絡が来るとうれしいです。「実践してみて、こうでした」という報告があれば、さらにうれしいです。
教員一人ひとりが、毎日様々な著作物を生み出している著作者です。そして、児童生徒もまた、同じく著作者です。自分が著作者であることを自覚したところから、他の著作者・著作物への意識が始まります。もう「漫画をタダで読みたい」とは、思わないはずです。
新たな著作物の創造は、正しい著作物の利用から始まります。学校にあふれる著作物について、目を向けてみてください。