主体的・対話的で深い学び」というフレーズが教育界を席巻して、何年かが経ちました。しかし、私はこれまで、この意味についてじっくりと考えたことはなく、言葉のもつ雰囲気で意味を理解したつもりになっていました。つまり、「分かっているふり」をしていたのです。特に「主体的な学び」が一番もやっとする言葉だと感じます。「主体的な学び」とは、結局のところどのような学びなのか、もう一度学び直してみました。
文部科学省によると、「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」という学び方が主体的な学びであると定義されています。子どもの姿として書かれていますが、この学びができるようになるのは、子どもの力だけでは難しいです。もしも子どもだけでこの学びができてしまったら、私たち教師の仕事は無くなってしまいます。主体的な学びを引き出す、促すために必要なのは、やはり教師の力なのでしょう。
「うちの学校の子どもの実態を見ると、やる気もないし、学力も低い。主体的に学ばせるのは難しい。」おそらく教員であれば耳にしたり、似たようなニュアンスの言葉を実際に自分が使ったりした経験がある方がいるのではないでしょうか。しかしよく考えてみると、主体的な学びを引き出す役割を担う教師が、子どもの実態という一言で、子どもの測り知れない可能性を奪ってしまっているようにも感じられませんか。
実態が把握できているならば、それを存分に活用することが主体的な学びを引き出す鍵になります。学ぶことに興味や関心をもてないのであれば、目の前の子の興味関心を引き出せそうなことを見つけていかなくてはなりません。見通しをもつことも、子どもたちが実際に経験しなければその大切さに気付くことは難しいでしょう。子どもたちの経験に寄り添い、サポートする。失敗してもうまくいかなくても、一緒に歩みをすすめていく。それが今、教師に求められる力の一つなのではないでしょうか
教職大学院に入学して4ヶ月。毎日が学びで溢れています。ここで、私自身が「主体的な学び」ができていたかどうかを振り返ってみました。興味関心をもつことは◎です。キャリア形成の方向性と関連付けながら学ぶこともできています。しかし、見通しをもつこと、粘り強く取り組むこと、次につなげることに関しては課題が残ります。教師としては、あまりいい手本になるとはいえません。しかし、こうした自分自身の経験を語ることも、ひいては子どもたちに興味や関心をもたせることにつながるのかもしれません。そう考えると、毎日の学びすべてが、宝物のように思えてきます。
「主体的な学び」一つをとっても、これだけの知見が得られます。学ぶことはやはりおもしろいですね。これからも「主体的な学び」を軸に、子どもたちとともに成長していける教師でありたいです。
さあ、今日は何を学びにいこうかな。