AI時代と言われる現在(いま)、学びのかたちが変わりゆく中で、教員の果たす役割もどんどん変化していきます。また、グローバル化の波とともに、社会や地域をはじめ学校現場でも、ことばをツールとした交流がさまざまなかたちで、しかもハイスピードで繰り広げられていきます。
ことばは、先人の知恵を学ぶための知識となり、コミュニケーションの潤滑油ともなりうるもの。ことばの学びはとても大切ではありますが、ことばを知識として教えるだけの語学教育ではもったいない。単に堅苦しいだけのものとしてではない、ことばの楽しさを学び、修得し、日々の言語生活をもっともっと豊かにしていくことができてこそ、真のことばの学びと言えるのではないでしょうか。
それは、外国語の学びにもあてはまります。外国語を学ぶことは、とても高いハードルを飛び越えるようなものだと、はじめから大きな厚い壁をつくっているのは誰なのでしょうか。私たちは、ことばの学びを意識した時、つまり、これまでの日々の生活の積み重ねの中で修得してきたことばにしっかりと向かい合った時、実はその壁をつくっていたのは自分自身なのだと気づくことでしょう。
外国語の学びは、「今、何って言ったの?」という小さな好奇心と、自分と違うことばを話す相手と「話してみたい!」という湧き起こる冒険心(ゆうき)があればいいのです。「はじめはわからなくてもいいんだ、わからないからもっと知りたい!」。そんな気持ちから始まる、新しくそして何より楽しい学びをこれからの子どもたちと創り出していくことが、これからの教員の果たすべき役割の一つなのではないかと思います。
一つの枠にとらわれない新しい学び、例えば、遊びが最高の学びとなり、夢中になって遊んでいる時のようにワクワクしながら学んでいくこと等、いろいろな学びのかたちに、どんどん挑戦(チャレンジ)してほしいと切に願います。