勤務する愛知県岩倉市は外国籍の住民が多く、私は外国につながる生徒への日本語指導を担当しています。日本語指導というと挨拶やひらがなの指導をイメージされることが多いですが、市内で日本語指導を受ける児童生徒の約8割が日本で生まれたり、幼少期に来日したりして、小学1年生から日本の義務教育を受けている子どもたちですので、日本語を流暢に話しますし、私が若者言葉を教えてもらうことも少なくありません。すると、周囲から「日本語がペラペラ話せているのに、どうして日本語指導が必要なの?」という声が聞こえてきます。こんな時、私は外国につながる子どもの日本語と教科を結ぶことについて話すようにしています。
日本語教室で中学3年生に社会を指導していた時のことです。首相の写真を提示すると「知ってる、テレビでよく見る!」と元気な声が聞こえてきますが、「どんな仕事をしている人ですか」と聞くと、「いつも青いネクタイだよね」「お金持ちそう」「なんか偉い人?」と自信がない様子。日本人の子どもは、ニュースを見ながら保護者の政治の愚痴を聞いたり、家族で政策について意見を交わしたり、次の首相を予想したりと、日常の生活の中で政治に触れる機会があることでしょう。だから、教科書の「行政の各部門の仕事を現場監督するのが内閣です。・・・内閣は、内閣総理大臣(首相)とその他の国務大臣によって組織されています」(「新しい社会公民」東京書籍)が理解できるのです。しかし、日本生まれ育ちの外国につながる子どもは、親子で政治について話そうとしても、意見を言える言語が、保護者は母語、子どもは日本語と異なるため会話ができません。このような環境の違いによって、同じニュースを見ていても、外国につながる子どもが得られる情報量は少なくなってしまい、中学生は知っていて当たり前とされる教科の学びを支えるための日本語が育まれていないのです。この差が、日本語を流暢に話している日本生まれ育ちの児童生徒が日本語教室で学ぶ理由です。
“内閣”や“首相”を勉強するとき、「雨が降りそうな天気のとき、体育大会をするか中止するか決めるのは誰か」という問いから「なんか偉い人」を示す日本語を考え、それを“首相”という教科の日本語と結ぶことから授業を始めました。その後で、18歳以上の日本国籍を持つ人は“選挙”をする権利があるという日本人の当たり前や日本の政治制度を生徒と調べ、理想の首相像を考えるという活動を通して、“いつも青いネクタイの人”が全国一斉休校を決定した理由が理解できるようになったのです。
私を含め、多くの教師は日本人の保護者をもち、日本の学校教育の中で育っているため、外国につながる子どもたちの困難に気がつくことは容易ではありません。その生徒の困り感の背景には何があるのかを探りながら、日本語と教科について考えていきたいと思います。