Vol.063これからの英語教育②これからの中学校英語教育は

2017.01

63_pic_01  いわゆる文法訳読式が悪しき古き英語教育と言われ始めてから久しくなります。文科省のいう「英語の授業は英語で」というのが常識的になってきた昨今でありますが、まだまだ実践できていない現場も多くあります。また、「英語で授業」をしてさえいれば良いというわけでも当然ありません。流暢な英語ではあるものの、先生ばかりが話していて、肝心の生徒は1時間英語をほとんど話さなかった、といったこともあるようです(必ずしもそれがいつも間違っているというわけではありません)。当然これからも教員は改善をしていかなければなりません。また、いよいよ小学校英語教育が本格的に実施となります。これを受けて、今後中学校はどのように変わっていくべきなのでしょうか。

 数年前ですが、小学校英語教育の専門家に言われたことで、印象に残っている言葉があります。「小学校英語が本格的に始まっても、中学校側は指導をあまり変えないでほしい」というものです。小学校で何か特定の技能や知識を習得してきたという前提には立たないということです。小学校側の狙いは児童を英語に慣れ親しませ、児童の中の英語に対する抵抗感を減らそうと意識しているようでした(残念ながら、逆効果になってしまうケースもあります)。もちろんこれは中学校側からすれば大変望ましいことですが、小学校側はまだ手探りの部分もあるでしょうから、中学校の教員はこれからも注視していかなければなりません。できれば各学校で連絡を取って、お互いの取り組みの紹介からでも連携を始めていくのが理想的です。教育委員会や学校側の配慮があると、より円滑になるでしょう。

 最近、私の周りでは国際バカロレアの教育プログラムが注目されており、「何ができるようになったのか」という生徒の能力や資質が到達目標として明確に示されます。その考えの影響を受けてか、Can-doリストが各現場で必須であるかのような現状です。バカロレア実施校の多くでは、検定教科書だけでは不十分として捉えられ、独自の教材等を使用していることが多いようです。「できる」側面を打ち出すため、表現活動も従来よりもレベルの高いものに生徒は取り組んでいます。このようなトレンドを批判するつもりもありませんし、元々こういった学校が目指している目標は一般的な学校とは異なるでしょう。ただ一方で、本校では伝統的に教科書を1つの大きな軸として指導をしてきました。教科書の内容を口頭でしっかりと導入し、「英語を英語でわかるようになる」練習を重ね、その理解をベースに表現活動に移行していきます。

63_pic_02  このように、教科書から離れて他の教材や活動に重点を置くか、じっくり教科書に集中するかの二極化の現状が見られるように思います。個人的な意見ですが、言語学習の初期段階においては、安易にアウトプット活動へはいかずにインプット・インテイクの過程を重要視するべきだと考えていますが、限られた時間で何を優先して指導していくべきなのか、今も日々頭を悩ませています。

 ここにきれいな結論のようなものは用意できませんが、何よりも大切なのは、「何が生徒にとってベストなのか」を常々考えることでしょう。日々研鑽を積み、教員自身も学習者であることを今一度肝に銘じて、日々の指導にあたりたいです。

東京学芸大学附属世田谷中学校教諭
市林竜
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