これまでみてきたように、非認知能力に着目するということは、これまでの人間観に修正を迫ることです。 一つは、「与えられた(決められた)こと」を着実に(スピーディーに)こなす個別の能力(ability)を伸ばすことよりも、多様な他者と協同しながら複雑に絡み合った問題を解きほぐしていく力こそ現代社会において必要だ、という考え方への転回です。グローバル化、IT化、液状化する「ポスト産業社会」(注1)では、個人が個別に対応することのできる問題を設定すること自体が難しいからです。
もう一つは、「Way of Life(どうやって生きるか)」から「Meaning of Life(生きることの意味)」への転回です。非認知能力はまずもってHeckmanら教育経済学からの提言で始まりましたが(注2)、そこではある種の人間の特性が「学歴」「収入」「社会的地位」の向上につながると指摘されていました。しかし、その後の非認知能力の研究は、上記のような固定的な「成功(Success)」ではなく、他者との豊かな関係の中でつかむことのできる「幸福」へと視点を変えていきました(注3)。ここでいう幸福とは、単発的で刺激の強い“Happiness”ではなく、人生の底流を形成する持続可能な幸せ= “Well-being”のことです。つまり、「夢はマイホーム」のような消費的な成功への幻想から、「つながり」「シェア」など「関係性」の豊かさが生み出す等身大の幸福を見いだすことへと、大きく舵を切っているのです。
このような大きな社会変動のなかで、日本の教育はどれほど変化しているでしょうか。新たな社会状況に対応できているでしょうか。
まず必要とされるのは、同調性の強い、管理の行き届いたクラス運営ではなく、子どもたちそれぞれの特性を生かす(多様性重視の)インクルーシヴ(包括的、包容的)な生活・環境設計をしていくことでしょう。他者とのズレこそが関係性の基盤となるようなクラス環境です。また、子どもの全人的な成長を「学校」や「家庭」といった狭い領域に全て担わせるという発想をやめ、地域や社会、世界に開かれた空間を(オンライン・オフライン問わず)設計し、多様な人間との交流を生み出していく仕組みづくりが必要とされています。
一方で次世代の教育では、上記のような環境設計によって生まれる社会関係を、具体性をもって言葉にしていくという(言語化・一般化の)作業が最も重要となるでしょう。誰かが喧嘩した、誰かが仲間はずれにされた、他の子どもの物を盗んだなどの小さなトラブルが生じたときが、絶好の機会です。犯人探しや糾弾は絶対に避けなければなりませんが、なぜそのようなことが起きたのか、両者はどのような状況や気持ちだったのかを考えながら、それぞれ自分の力で解決しようと努力する小さな試みを積み重ねるような機会を設けることがとても大切です。子どもたちが感じる苛立ちや悲しみをすぐに「解消」しようとするのではなく、様々な角度から関係の可能性を考えていく時間こそが、社会情緒的コンピテンスの基盤作りにつながります。非認知能力の拡張のためには、日々の見えない関係の網の目を、その都度「見える化」しながら言葉にし、他者を受容するための方法を大人も一緒に考えていくという方法が最も効果的なのです(注4)。その営為は、われわれ大人や教師自身の学びにもつながっていくはずです。
東京学芸大学准教授 小西 公大