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Vol.070ダイバーシティと共生社会③障害受容は誰がするのか

70_pic_01  今回は、私の専門の聴覚障害のことをお話ししましょう。東京学芸大学に勤務する前は聞こえない方のリハビリ相談を担当していました。例えば、みなさんが明日、朝起きたら突然耳が聞こえなくなっていたらどうしましょう?学生さんなら授業は聞こえないし、社会人の方にしても会議も電話もできなくなってしまいますね。人生の半ばで障害を受けると、これまで出来ていたことがままならなくなるだけでなく、大きな不安も経験することになります。私に相談していた方達の中にはこれまで築いてきた人間関係や社会的役割が崩壊していくことを経験して、鬱状態になっている方も少なくありませんでした。

 ところで、障害者になった自分を当たり前の自分だと受けとめていくことを「障害受容」といいます。聞こえなくなってすぐの人は、補聴器はおろか手話を習おうという人はほとんどいません。だって、治したい一心ですからね。補聴器を装用することも手話を使うことも、実は大きな心の葛藤を乗り越えて出来ていることなのです。

 以前、障害受容できている中途難聴の方を対象にアンケートを取りました。アンケートの対象とした方は、「手話や読話などのコミュニケーション手段を相手に応じて使える」「聞こえない友人が5人以上いる」「誰に対しても自分の難聴を開示できる」という条件をクリアした方で、聞こえなくなって17年以上の方でした。そのアンケートで「家族の知人が家に来るときの工夫は?」という質問をしました。応接間に筆談用のボードを置いておくとか、知人に関して事前情報を得ておく等の工夫がされているのではないかと思っての質問でしたが、回答は8割が拒否的だったり(一番嫌な時間等)、消極的なもの(会わないように外出している等)になりました。その理由は、「家族が自分の難聴のことを知人には知られたくないと思っているから」というものでした。

 例えてみれば、難聴になった母親は努力を重ねて手話を身につけ、状況に応じて適切な支援を求められるような工夫が出来るようになっているのに、その息子はそんな母親を友人には知られたくないと思っているというわけです。これが幸せでしょうか?初めて障害受容という言葉を使い始めたM.グレイソンは、障害受容には自己受容とともに社会的受容があると述べています。社会的受容とは、障害者を当たり前の同僚、家族、教え子として受けとめることです。すなわち、障害を受容するのは健常とされる私たちもなのですね。

東京学芸大学教授
濵田豊彦
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