CREDUON

Vol.060ノンバーバルを見つめなおす②自然なジェスチャーへの問いから考える

60_pic_01 ノンバーバルと一言で言えども、「ことば」以外の情報伝達方法は非常に多様と言えます。その中でも、今回は”ジェスチャー”について取り上げてみたいと思います。
 例えば、次のような道端での会話があったとします。
 A子:あらB子さん、雨が少し降り始めたから洗濯物をはやく取りこむ方がいいよ。
 B子:あー、本当だわ。ありがとう。じゃあ帰るわね。また、あした。
 A子:はい、またあした。

 この会話で最後のA子さんの挨拶において、もしA子さんがB子さんに対して手を振る動作をするとき、どのタイミングで手を振るのが自然なのでしょうか?しゃべり始めるころにはすでに手を振っているのが良いのでしょうか?それとも、言い終わるころに手を振る方が良いでしょうか?また、ただ手を振れば、その速度が極めて遅くとも問題ないでしょうか?それとも高速メトロノームのように速く手を振っても自然に見えるでしょうか?

 さて、「自然なジェスチャーとは?」という問いを立ててみましたが、無論、この問いに答えはないと思います。なぜならば、手を振るタイミング・手の振り方はA子さんの人格によって大いに左右されるからです。

 ジェスチャーと言えば「バイバイ」と別れを告げるものや、OKサイン、日本独特なものだと、「すみません、前を通ります」や、「その話は置いといて」と言うとき、他にも幽霊や解雇(クビ!) を示すもの、ゴマすり、「かわいい?」など豊富です。これらジェスチャーは”文化”であり”内容”を持っていますが、それゆえに伝達された結果のみで考えると、その効果は一様なものと判断されやすいのではないでしょうか。しかし、もう少し細かい視点で見ていくと、きっとそのジェスチャーの質には個人差があり、それに伴い相手に与える印象や効果も変化してくると思われます。言い換えるならば、「さよなら」というジェスチャーも1人1人異なる色彩を帯び、伝達される効果は一様にしても、その質の豊かさから”個”に出会うことができると思います。

 日常のなかで無意識に行われることの多いジェスチャーですが、こうして見てみると、ジェスチャーは”人を映している”とも言えるでしょう。今日において、ノンバーバルは心を映す感情言語のようにも考えられていますが、ジェスチャーの場合もきっと、”心”によってタイミングや質が決定される「身体の感情言語」と言うことができるかもしれません。

 ロボットと共存する未来が非常に現実性を持って叫ばれている昨今、世界的にも、私たち人間のコンピテンス*を問い直す時代となっているように思います。なにが自然で、なにが非自然かという境界線も時代によって大きく変化する中で、変化していないもの、その中でも気づかないほど身近にある、ジェスチャーをはじめとしたノンバーバルにも、私たち人間が潜在的に持つ能力を教えてくれるヒントが眠っているのかもしれません。
*コンピテンス…人間が生得的に持つ能力

NPO法人東京学芸大こども未来研究所研究員
小田直弥
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