Vol.103多様性と教師教育、そして未来③
ともに成長しながら個性ある学校づくりを

 前回は、外国に繋がりを持つ子どもたちに対する授業の話をしました。

 ただ、子どもたちを育てていくときに、「授業」は大切な中核ではあるけれど、それだけでは子どもたちは成長していきません。3回目の今回は、多様性のある子どもたちを「学校」全体でどのように認めるかについて、考えていきます。

 「おはようございます。今日の担当は、〇〇と〇〇です。今日も1日元気に頑張りましょう。教室に入って、読書をしましょう」。

 西日本の中核都市の中にある小学校の朝の校内放送。話しているのは来日2ヶ月の中国から来た子どもです。この学校では、日本に来て間もない、まだ日本語の力が十分でない子どもも積極的に放送係として、活躍しています。放送室の中では、この放送を行うために、放送係の子どもたちが一生懸命放送の練習を一緒に繰り返しています。来日間もない子どもにとって、自分の放送の日は緊張します。しかし、放送を終えた後の子どもの顔は晴れやかです。

 この学校は、外国に繋がりを持つ子どもたちだけではなく、日本人の子どもも含め、かつては子どもたちの自尊感情が高くない実態がありました。そのために、自分の優位性を保とうと、攻撃的なことばを吐いたり、冷ややかなコミュニケーションをとることが多く見られました。そうした中、外国に繋がりを持つ子どもたちにとって「校内放送」を司る放送委員は、ハードルの高い仕事でした。

 子どもたちだけではなく、教員もあえて日本に来たばかりの子どもを放送委員に任命することはしませんでした。

 しかし、校長と教員の話し合いの中で、「あえて活躍の場を与えてみよう」ということになり、日本に来て間もない子どもにも放送委員をやってみないかと水を向けるようになりました。当初勇気のいる判断だったかもしれません。

 でも、いざやってみると、意外にも見えるようになったのは、日本の子どもたちも交えた日本語の練習の姿であったり、「〇〇ちゃん、日本語うまくなったね」という声であったり、「あの子、あんなに話せるようになったんだ」という教員の声です。こうした声が増えていくことは、結果的に当事者の子ども自身にもつながっていきます。

 ここで重要なのは、「放送係を外国に繋がりを持つ子どもたちにさせることが大事だ」というメッセージではありません。こうした子どもたちの存在や、日本語を学ぶ教室をいかにして全体の中で見せていくかということです。

 往々にして、取り出し日本語教室は学校の中でも隅に置かれがちで、そこに通う子どもは、誰にも知られない形でひっそりと日本語の練習をするということが多くあります。しかし、それでは子どもたちは、学びの場所ごと「学校の中のマイノリティ」となり、「いかに早くマジョリティと同じになるか」を子どもも教員も考えがちになってしまいます。

 そうではなく、そうした子どもたちの「日本語がまだ熟達していないこと」があっても、子どもたちが「成長しようとしている姿」が周りの子どもや大人たちに「見える化」をしていくことで、当事者の子どもは周りから承認され、それが子どもの自信につながっていきます。また、周りも頑張る姿に気づかされ、自分ももっと頑張らなければと、互いに成長しようとする姿につながっていくのです。

 そうした中で、多様性は認められ、それを個性としながら学校が作られていくこともたしかにあるのです。

 この3回にわたって、外国人児童生徒の教育を「課題」ではなく「希望」で語ろうという話をしてきました。もちろん課題はたくさんあります。しかし、課題を見つめるだけでは人は頑張れないし、周りも巻き込まれていきません。「多様な子どもの存在」を課題ではなく、新しい学校、授業の可能性を秘めた「希望」ととらえていくこと。それは、これからの日本社会のありようの、小さな、しかし大きなものを秘めた縮図ではないかと思います。ぜひ、「課題」ではなく「希望」で捉えることのできる教師を、大人を、増やしていきたいものです。

東京学芸大学准教授 南浦涼介
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