これまで文化人類学的な発想をもとに、フィールドワーク教育の可能性を論じてきたが、実際に人類学的な教育過程に「フィールドワーク手法の教育」などの具体的なカリキュラムが設定されていることは少ない。人類学を志す学生たちは、教員たちの調査手法やプロセスを見よう見まねで習得し、その過程を教員に報告し続けることで、様々な助言やバックアップを受けてきた。
「なぜそれが重要なの?」「それはあなたにとってどのような意味があるの?」「あなたのオリジナリティは何?」など、リサーチデザインの根幹に触れるような質問をその都度浴びせられ、「対象の理解」と「自身の生き方」との間を接合させるためのディスカッションが繰り返されていく、というのが人類学的な教育法なのである。
したがってフィールドワークは、単純にスキルや能力を磨くためのものでもなく、他者を理解し知識を増やすためのものではない。自分たちが生活してきた世界のなかで作られた価値観や認識の作法を揺るがせながら、かつ刺激的な「異世界」のなかで他者の意思と混ざり合いながら、自身の「生き方」を模索し、「発想」を拡張させていくための方法論なのである。常に帰る場所は、他者との対話のなかで浮かび上がってくる自分の存在であり、世界と自分の関係性そのものなのである。このことが、廻り回って、世界を変え、世界の課題を解決するための深い洞察力を醸成することにつながるのである。なぜなら、世界を理解し、世界に働きかけるためには、「世界と自分との関係性」に対する思慮が全ての前提になるからだ。
第3回目にして抽象度が上がってしまったので、これからのフィールドワーク教育の学習デザインで重要となるポイントを3つにまとめておきたい。
学校現場では評価の問題を気にされる方が多いが、フィールドワーク教育の最も重要な部分は、他者との対話を通じた自己との対話であり、課題に対する解答の「上手さ」を評価の対象としてはならない。あくまでも多様な対話の過程への参入度こそが評価の対象となるだろう。
(注)例えば、【課題】「少子高齢化で住民の繋がりが薄れている」に対して、【解決】「コミュニティ・カフェを作ればいい」という予定調和的な例をあげよう。これに対し、「場を作れば人は必ず集まるの?」「カフェである必要はあるの?」「コミュニティってなんだろう?」「あなたなら行く?」「繋がりさえすればいいの?」「あなたは誰と繋がりたい?」など、「コミュニティ・カフェ」を想定する際の基本的なメカニズムや認識、地域における文脈、自身との関連性などを考えさせるように誘導するといった方法が挙げられる。