子どもたち一人ひとりを丁寧に見とり、彼らの学習意欲を喚起したり学力を高めたりすることは、私たち教師の大切な役目です。しかし「言うは易く行うは難し」、それは大変な取り組みでもあります。教師の仕事は演劇の世界で言うなら「裏方」もしくは「脇役」です。子どもたちを支えたり励ましたりして、主役である子どもたちが輝く瞬間を作り出すことこそ、教師の仕事であり醍醐味だと考えています。彼らの成長を自分の手柄と勘違いし、自身のアピールに奔走する教師がいるようですが、私の描く教師像とは相容れないものです。
さて、今回は教師がどのように自分の力量を高めていくのかについて考えてみましょう。
子どもたちへの関わり方は大きく二つあると私は考えています。その一つは子どもに直接関わることです。声を掛ける、話を聞く、褒めるなどは、子どもの意欲向上や学習成果には欠かせません。そして、もう一つが間接的な関わり、例えば「待つ」や「見守る」がそれにあたります。この関わり方を身につけるのは少し時間と経験が必要かもしれません。Vol.144で紹介した授業で、私は「待つ」ことを選択しました。おそらくそれまでの授業での経験やA君の学びを見てきたことから、「今は待つことがよい」と判断したからだと思います。
このような事例は特別なことではなく、クラスで日常的に起こっている「よくある」場面です。しかし日々の忙しさや煩雑な作業によって、せっかくの子どもの成長をついつい私たちが記憶や記録に残していないのです。ですから、時には誰かに話すことも重要です。私の小学校教員時代、ある研究仲間の先生から「現場の先生たちこそ『授業』の研究者です!」と応援されたことを思い出します。それは研究者の知らない「この子らしさ」を私たちが知っているからであり、その知識や情報は「この子」の豊かな解釈につながっているのです。
この授業ではA君が「この子」ですが、数多くの授業ではいろいろな子どもたちが「この子」になるのです。教師の確かな見通しの上に成り立つ授業ですが、子どもたちは時に教師の想像を超えて学んでいきます。その学びから教師は学ぶ、むしろ教師は子どもたちに教えられています。この繰り返しが教師の力量形成につながるのだと私は考えています。