カリキュラムとは何か。この問いに対して的確に答えることができる教員はどのくらいいるでしょうか。おそらく多くの人は、カリキュラムとは教育課程のこと、と理解していると思います。では、教育課程とはなにか。私はこれらの問いに対して、論文・文献にあたることで解像度を上げてみることにしました。
カリキュラムの歴史を辿ると、1949年ごろから論文や文献にカリキュラムという言葉が多く載り始めています。当時の論文では、カリキュラムはイギリスからアメリカに輸入されたものであることや、動的なものであることなどが述べられています(1)。動的とは、一度決めたらそこで終わるものではなく、実施するたびに動きが加わっていくものということです。
では、この時代以降の文献・論文では、カリキュラムはどのような定義で使われているのでしょうか。いくつか紹介していきます。
それぞれの著者が、カリキュラムという言葉に様々な定義をしていることがわかります。一方で、複数の文献・論文を当たることで共通項も見えてきました。それは(2)でも述べられているように、カリキュラムとは学習者の経験をふまえて考えられる学校の教育計画であるということです。それを私は ①学校教育目標を達成させる取り組み ②達成するための枠組み(内容、観点、評価法などはそれぞれ)と捉えました。
カリキュラムの実態を捉えた上で見えてきたのは、「どこにでもカリキュラムは存在する」ということです。授業ひとつをとっても、授業時間での目標があり、目標を達成するための学習活動や評価があります。学年経営、学級経営もそうです。学年目標をどのように定め、途中の行事をどのように位置づけ、生徒の様子を評価し改善していくのか。教師であれば、どれも当たり前に行っていることです。
では、カリキュラムが何かを改めて捉える前と後では、何が違ってくるのでしょうか。それは、目標に対する意識であると考えています。私も、初任の頃は日々の授業を精一杯こなすことに重点をおいていました。徐々に慣れてきたころ、意識し始めたのは目標でした。その目標も、授業時間の目標→単元の目標→教科の目標→教育の目標、と徐々に範囲が拡大していきました。
私の場合は経験と共に目標への意識が拡大していきましたが、カリキュラムという言葉を自分なりに捉えることができれば、経験が浅くても目標を中心として教育活動をデザインできるかもしれません。カリキュラムは特別なことではないけれども、意識するとしないとでは学習活動に雲泥の差が出てくるように思えます。私も、もっと早くカリキュラムの解像度を上げていたら、もっと早い段階で意識レベルを上げることができたかもしれません。カリキュラムという言葉を、ただの教育課程でなく自分ごととして語れるようになってほしいと願っています。