「生活指導」には社会で生きるための生活指導と、その子が自分らしく成長するのを支援する生活指導の二つの側面があると思っています。
かなり前の話ですが、保護者とのグループ懇談でこんなやりとりがありました。「先生は机に腰掛けているのを注意しなかったのですが、良いのでしょうか」という母親に、他の母親が「確かに行儀が良いとは言えないけれど、机にちょこんとお尻を預けて靴紐を直すのって、カッコいいって感じることありますよね」と意見しました。すると「机に腰掛けるのが良くないことを、まず知らないと困るわ…」と他の母親たちにも話が広がっていきました。こうして思い返してみると、家庭の「当たり前」を交流する機会は、学校の中だけでなく普段の生活の中においても、最近少なくなってきているように感じます。不安解消のために学習塾や、他人の情報を交換しながら自分の「当たり前」を確かめ合っても、自分の「当たり前」を問い直す機会がないまま、小さなコミュニティの価値観の中に閉じこもっているように感じるのです。価値観が多様化している中、様々な「当たり前」を知った上で自分はどうするのかを考えることは、やはり大切ではないでしょうか。
そこで私は、他者と考えを交流する中で、自分の「当たり前」を問い直すことのできる場面を逃さず、子どもたちに問いかけています。「分かっているのにやめられない」「知っているけどまぁいいか」が教室の中で横行していると、自由が狭められていくこと。「なんでそうしないといけないの」「そもそもそれって意味あるの」と批判ばかりしていると、互いを分断していくこと。そういうことに気付き、立ち止まって考えられるようになって欲しいと考えているからです。
こうした小さな積み重ねを通して、子どもたちは社会の中で自分らしく生きることができるように育っていくのだと思っています。