皆さんは、評価に対してどのようなイメージをお持ちですか? 「児童・生徒を値踏みするようで嫌だ」「学習指導要領が改訂されると、評価規準が変わるのでややこしい」「大勢の生徒を正確に評価することは可能?」-。このように思われる方は、ぜひ、このまま読み進めていただけたら幸いです。
まず、評定と評価の違いについてお話します。「子どもたちの様々な活動に対して、順序をつけたり、得点を与えたりして、よしあしを判定する行為」(1)は評定の定義です。教育評価とは、「教育がうまくいっているかどうかの実態を把握し、教育の改善に役立てるもの」(2)なのです。
また、「指導と評価の一体化」という言葉もよく耳にされるのではないでしょうか。これも説明させていただくと、「評価を学習の終着点とするのではなく、評価を教師の指導改善と結びつけることで評価と指導の関係を相互往還的なものと捉える見方」(2)とあります。目標と指導と評価が一貫しているべき、というよりは、指導改善を目的として評価を活用するというものなのです。これは、ブルームの評価論における、形成的評価に影響を受けています。
私は、この評価の機能における、形成的評価(学習や指導改善を支援するために行われる評価活動)をもっと重視することで、児童・生徒と、教師の両方に優しい評価ができるのではないかと考えます。評価の「子どもたちの学びの様子を指導改善につなげる」側面にもう少し注目してみることを提案します。
日常的な評価として、座席表形式の記入簿を使用することは、指導改善に着目した際にも有効だと考えます。「子どもの言動や子どものやりとり、教師がその子どもについて気がついたことや想像したことなどを、カルテと呼ばれるメモに残していく。それをもとに、子どもごとに書き込みができるようになった白紙の座席表に要約を記入する」(2)という取り組みが、静岡市立安東小学校で行われているそうです。机間巡視の際に、子どもたちがどこでつまずいているのか見取ることができたら、自分の指導を改善できるヒントになると思いませんか。
総括的評価(資格や選抜、あるいはアカウンタビリティのための評価活動)や評定ばかりに注目することで、児童・生徒も教員も「評価」という言葉を苦々しく捉えているように思います。指導改善を目的とした評価で、子どもたちの「つまずき」を「分かる喜び」に変えることができれば、評価の嫌なイメージは一掃されるのではないでしょうか。