私は、放課後のこどもの居場所づくりや幼い頃から自然に親しむ体験プログラムの開発と、その指導者育成の仕事をしていますが、教育に関心をもったのは30年前に長男の小学校入学でPTA活動に関わったのがきっかけです。当時は日本の公教育制度の大きな転換点でもあり、トピックは後に大きな議論になる教育課程の「ゆとり」や、新しい学力観として求められる「生きる力」、地域運営学校の導入検討などでした。特に新しい学力観では、子どもの主体的な学びを基調に「指導より支援」という言葉が全国津々浦々広がった時期で、それは現在にも通底しているものです。子どもの世界も30年の間に大きく変化しました。千葉大学の木下勇研究室が児童2,986人を対象に調査したところ、小学生の7割以上が放課後に外遊びをせず、1割以上が遊ぶ友達が一人もいないという結果に、木下教授(都市計画学)は、「放っておけば子どもが遊ぶ状況ではない。外遊びを促す社会的介入が必要だ。」と指摘しています(毎日新聞2019年報道)。
現在の私のもっぱらの関心事が、子どもの権利を基盤にした放課後の居場所づくりである理由がここにあります。子どもの権利条約31条は、全ての子どもに「遊ぶ権利」を保障しています。社会全体で子どもが意見を表明することや子どもにとって最善を追求することを大切にすると宣言しているのです。
私の小学生の頃の思い出の一つに野球チームをつくったことがあります。お揃いのユニフォームを着て大人の監督が指導するリトルリーグは当時もありました。そんなチームに入れない子どもが集まりチームをつくったのです。グローブも互いに貸し合い、帽子もバラバラなのでマークだけ当時のスポーツ用品店でつくり、家で縫い付けてもらったのを覚えています。チームの名前を考えマークの形を整え、お店にその紙をもっていってお願いしたのも、親に相談しながら自分たちでやりました。練習場所の候補である小学校の運動場は、土・日はリトルリーグのチームが使っていました。練習しているところへいって自分たちにも使わせて欲しいと、浅黒く日に焼けた怖そうなおじさんの監督へ頼みにいったのです。ノック中の監督は、最初は相手にもしてくれませんでしたが、執拗に食い下がる私を見て、先生を呼びなんとかするよういったのです。「おとなの指導者がいないと学校は使えない」と先生からいわれ酷く落胆しながらも10才の私たちは別の道を探したのを覚えています。チームは卒業まで続きました。普段の練習は近くの工業高校のグランドの片隅を使い、日曜日は他校の同じような出自のチームと広大な原っぱ(現在の平城宮跡公園)に自転車で集まり試合をしました。思えば今の私の原型がそこにあるような気がします。
現行の学習指導要領では、主体的、対話的で深い学びを通して社会を変革する力をつけることを目標の一つに挙げています。なぜでしょうか?なぜなら、世界では地球規模の視点をもち、自然との共生を前提にした持続可能な社会への転換が求められているからです。学校で学ぶことが社会を変革する力につながるには、学校での学びと生活場面をつなげる「場」が必要です。私が放課後のこどもの居場所の質にこだわる理由がここにあります。生々しい現実と共に体験を通して学び合い広い視野をもち、深く物事を考える体験ができる場が必要だと考えています。この野球チームのエピソードには、実は、学校で学んだいくつもの要素が含まれています。それは日本の学校システムの大きな特徴といってもいいものです。なぜこれが10才の私たちに出来たか・・・低学年での学校での生活時間にその秘密があるのですが、紙面の関係で続きはまたの機会にしたいと思います。
