「このまま、年を取っていくんじゃないだろうか・・・」当時、附属学校から公立学校に転任したばかりの私は、授業を見たり見てもらったりする機会や、「授業づくり」について“侃々諤々”の議論を交わす機会が減ったことに焦りを感じていました。30代半ばの頃、ある尊敬する先輩から言われた「実践は40を過ぎてからおもしろいんだよ」という言葉も心のどこかに引っ掛かっていました。
15年余り前、40になった私は、意を決して県外の“研究会行脚”を始めました。研修の場を敢えて「県外」に求めたのは、“異文化”に触れたかったからです。
10年程前、休日開催(学校に迷惑がかからない)という理由だけで“たまたま”参加した関西のある附属小学校の研究会で、私は一人の体育教師と運命的な出会いをしました。名前も知らなかったその教師の授業を見終えた私は、何とも言えない感動の余韻に浸りました。「教材」、「授業マネジメント」などの授業構想は無論のこと、子どもとの「相互作用」が素晴らしく、一回りも若いその教師の授業に私は“脱帽”せざるを得ませんでした。
休憩時、昼食をとりながらその授業を反芻していた私の耳に、隣の教室から教師と子どもの対話する声が聞こえてきたのです。彼の声でした。どうやら、小さな諍いが生じ、関係する子どもたちと話をしているようでした。内容の詳細を述べる紙幅はありませんが、とにかく、その時の彼の対応にとても惹かれたことをはっきりと覚えています。「何て情熱的で温かい教師だろう」。授業の印象と合わせて、私は益々彼に惚れ込みました。
翌年の7月、福岡で開催された研究会で思いがけず彼と再会したのです。授業の話題で盛り上がった後、私は思い切って所属する「体育授業研究会」に彼を誘いました。8月、彼は私の誘いに応じて顔を見せてくれました。夜の懇親会でのこと、彼の口から思いがけない依頼がありました。「11月に自らが主宰する研究会を立ち上げるので、講師の一人として参加してほしい」とのことでした。一も二も無く了解したことは言うまでもありません。
それから10年以上、ほぼ毎年、私は“あの授業”に出合った附属小学校や、彼の主宰する研究会に参加しました。そしてこの出会いは、新しい実践研究の繋がりも生み出すことになりました。彼の研究会と、私が所属する県内の研究会との交流が始まったのです。
「出会い」というのは、本当に素晴らしいものです。彼との出会いが、私をもう一度“実践者”として覚醒させてくれました。そして、“行脚”を通して全国の実践者との繋がりも生まれ、様々な刺激を受けながら、私は今も自らの実践を問い続ける喜びを感じています。
「40を過ぎてからおもしろい」。先の先輩の言葉の意味が、教職生活も残り少なくなった今、やっと少しだけ分かったように思います。人(子ども)を相手にする「教育」(授業)に“ゴール”はないのでしょう。それでも、“何か”を求めて前に進む。その“何か”とは、きっと子どもたちの笑顔なのだと思います。
私は今日も子どもたちの前に立ちます。「出会い」に感謝しつつ・・・。