教育系NPOに就職して5年、今の自分に見えている景色を記します。
突然ですが、みなさんはこちらの図をみて、どのようなことを想起しますか?
この図は地域全体で子供たちの成長を支える仕組みについて、その活動の繋がりを示した概念図になります。この図からは学校教育や家庭教育とは異なり、地域学校協働活動を含む社会教育は多様な属性を持つ人たちがそれぞれの立場や能力を活かして参画することが求められているということを読み解くことが出来ます。私自身は、大学院の授業で初めてこの図を目にしたのですが、「誰がやるのだろう」「私にとっての地域はどこになるのだろう」という疑問を抱いたことを鮮明に記憶しています。
これらの疑問は私が教育に携わる上での原動力になっています。
一つ目の疑問、「誰がやるのだろう」に対する究極の答えは「みんな」になります。しかし身の回りを少し見渡すだけでも、すべての人々が子供の成長のために活動をしている社会にはまだまだギャップがあると感じることができるでしょう。そもそも、社会にはどのような課題があり、それに対してどのような取り組みを行っているのかという事象に関心を持つことにさえハードルを感じてしまう場合もあります。
孤独や孤立が幅広い世代で多層的に進行していくなかで、いかに自分ごととして考え、活動する人を増やしていくことができるのか。カギとなるのがコーディネーターと呼ばれる、人と人、地域と学校、家庭や企業を繋げる役割を担う存在です。
現職では、地域と企業と大学を中心にコーディネートを行っており、様々な熱い想いをもつ方々と日々コミュニケーションを取っています。それぞれのニーズと課題に対してヒアリングを行い、協働関係の構築や伴走支援をすることで緩やかなネットワークの形成を目指します。そうすることで、身の回りの教育環境が少しずつ変化していくことにやりがいを感じます。直接子供たちに関わる時間よりも、コーディネートのために打ち合わせや事務作業を行う時間が圧倒的に多い職業ですが、「子供たちの未来について真剣に考えて行動する仲間を増やす“種まき”を行っているんだ」というマインドで、遊び心を忘れずに向き合っています。
二つ目の疑問、「私にとっての地域はどこになるのだろう」は、多くの若者が感じている課題だと思います。特に地元から離れ進学や就職をしている方々は、生活地域周辺での地縁的な繋がりや思い出が希薄になってしまい、ともすると隣に住んでいる人の顔も知らないなんて状況も珍しくないのではないでしょうか。今の住居にはたまたま住んでいるだけで、状況次第で代替可能な場所であり続けてしまう、そんな具合です。
これは私の感覚ですが、“地域=自分が子供時代に過ごした地元”という認識から、地域を捉えなおすきっかけが必要なのだと思います。私の場合は、昨年のお盆に帰省したことが大きなきっかけでした。テレビで地元の高校野球のニュースを目にした際、出場校のいくつかが3校連合、4校連合といったように表記されていました。つまり、競技を行うための部員が1校では足りず近隣の学校同士が一つのチームとして登録されていたのです。10年前、私が現役の高校球児であった頃はこの様な状況は殆どありませんでした。私にとってこのニュースは単に競技人口の減少ではなく、自分の生まれ育った地から子供がどんどん居なくなっているという現実を突きつけるものでした。
もちろん全ての市町村で子供の数が減っている訳ではありませんが、過疎地域では急速に子供の育つ環境に変化が生じています。そう遠くない未来、私たちが子供の頃に当たり前だった地域の姿が消失し、子育てをするには地域を選ばなければいけない状況が到来するのではないかと危惧しています。
今の私には、職業を通して地域の教育環境の醸成に寄与することの喜びや感動と、ひとりの若者としてこれからの地域の衰退を憂い嘆く、相反した感情が混在しています。
だからこそ、私に出来ることを今のうちからやってみたい!と強く思うようになりました。
実際に、1年半ほど前からプライベートで知人の地域活動を手伝うようになり、月に2回程度、子供の遊び場と地域の居場所を展開しています。
まずは自分の専門に近いところから、と参画してみた活動ですが、1年半もたつとすっかり生活の一部になっていて、日頃の生活圏とは離れていても、そこに来る子供たちと地域に少しずつ愛着が芽生えてきました。地域に出ると、新しい自分と出会うことが出来るんだ!と楽しんでいます。
今できることは限られているかもしれませんが、身の回りの範囲から、仕事も地域での活動も挑戦していきたいと思います。
繋げて、支えた、その先に子供たちの明るい未来があることを信じて。