1【決断】
教員になって15年。仕事に不満があるわけではなかったのですが、何か変化や刺激を求めていました。ちょうどそのとき、耳に入ってきた『日本人学校』の情報。思わず飛び付き、迷わず応募しました。面接等を受け、無事に合格。赴任地、『タイ・バンコク』に決定。その後は、書類作成や荷物準備等に追われる日々が続きました。そして、いよいよ2017年4月7日。スワンナプーム空港に降り立ったのです。初めて足を踏み入れる異国の地。あまりの暑さに汗をにじませつつ、期待に胸を膨らませました。
2【出逢い】
到着口を出ると、大勢のバンコク日本人学校の先生方が温かく迎えてくれました。私たち家族名の看板を掲げてくれたり、大量の荷物を運んでくれたり、我が子の面倒を見てくれたりと至れり尽くせり。直接お世話をしてくださった方は、埼玉県と青森県から派遣されたお二人でした。児童生徒数約2500名、教職員数約250名の大規模校。北は北海道、南は沖縄まで。全国各地の多様な先生方と出逢うことができました。また、タイ語や英語の外国語教師、現地のスタッフ、日本人学校ならではの仲間とともに働く時間は、とても刺激的なものでした。校務分掌として日本人会会報誌の編集会議にも携わることができ、様々な職種の方々と交流を深めることもできました。
3【寺院でのお手伝い】
寺院の責任者の方が発足し、人身取引の危険にさらされている少女を救出・保護、就職の支援をしている団体があります。日本人会で知り合った方に紹介していただき、料理を作って一緒に食べたり、日本語や折り紙など日本の文化を伝えたりしました。私が想像もつかない壮絶な過去があったにも関わらず、明るくそしてしなやかに生きている彼女たちに感銘を受けました。そして、生き方を問い直すきっかけとなったのです。
4【年間100本超の授業観察】
3年目、研究主任として校内研究の推進や学校採用の初任者研修を担当しました。数多くの授業を観察し、授業者や校内の先生方とともにリフレクションも毎回行いました。授業記録を基にして伝える良かった点や改善点。子供や授業について考え語り合うことで、私自身の授業を振り返ることにもなりました。また、現地の学校や教育施設を訪れる機会もありました。タイでこそできる経験を与えていただき、感謝しています。
5【帰国】
2020年3月17日早朝、羽田空港に到着。自宅に向かうタクシーの車窓から見える景色は、どことなく新鮮に感じました。題名にある言葉は、同僚の先輩が出国前に掛けてくださった言葉です。3年間バンコクで暮らし働くことによって、凝り固まっていた思考を解すことができました。新たな仲間や出来事が、私を更新させてくれたのです。ขอบคุณ มาก ครับ.