学校の授業でよく見る映画に「千と千尋の神隠し」があります。この映画は、異世界に紛れ込んだ少女の成長物語といえます。主人公の荻野千尋は、異世界の中で、ハク・りんさん・釜爺らに支えられながら豚に変わってしまった両親を見事に助けて現実世界に戻ってきます。前半の千尋のイメージは、さみしがりで頼りない少女ですが、異世界での様々な体験を積み重ねるごとに強い意志をもち、欲望に負けることのない少女へと成長します。最後の場面で多くの豚の中から両親を選ぶように迫られ、ここに両親はいないと断言する千尋(千)は、物事を外見で判断せず本質を見抜くまでに成長しています。彼女は、異世界の体験を通じて、「自己と他者」「自己と環境世界」「自己と自己」の関係を見事に編み直していますね。このプロセスと結果が、学習であり、成長といえます。
千尋の体験は、偶然の出来事でしたが、このような異世界(自分の知らない未知なる世界)へ意図的に他者を誘い、その楽しさを伝えることが教育だと考えます。しかしながら、ここには一つの困難があります。それは、教える側も、常に異世界へ飛び出すことを恐れず、その楽しさを求め続けなければならないことです。「学ぶことをやめたら、教えることをやめねばならない。」とは、ロジェ・ルメール(元サッカーフランス代表監督)の名言です。教える立場にある人は、常に、このことを肝に銘じておかねばなりません。立ち止まることは思考停止であり、結果として自己の世界を閉ざすことにつながります。思考停止せず、常にチャレンジ精神(risk taking)を持ち続けることが大切です。
懐かしのテレビ番組「スタートレック」では、カーク船長がスポック副船長らとともにUSSエンタープライズ号で未知の宇宙へ飛び出し、困難な課題を解決しながら旅を続けます。学ぶ姿の原点がここにあるのではないでしょうか。