「子どもになめられたらいけない」、新任のころ、そんな思いがあったかもしれない。肩肘をはって、子どもになめられないように、学級崩壊しないように、そんな風に日々を過ごしていた時期があったように思う。しかし、いつの日からだろうか。授業が変わり、子どもとの接し方が変わり、ベテランの先生の教室で感じたあたたかい雰囲気が、自分のクラスでも感じられるようになっていたのは。
きっかけは多分、隣のクラスの先生の真似をして、宿題に毎日の日記(プリント形式で、ファイルにまとめる)を出し始めたことだと思う。
学級開きをして直ぐのことだっただろう。20分休みにクラスでいざこざが起きた。男の子同士のけんかである。たたいたのは粗暴な印象のA君(前担任からの引継ぎ)、たたかれたのはB君。微妙に違和感を覚える雰囲気の中、たたいた方のA君を指導し、時間も無かったことから、その場はそれで収めた。しかし、何か心のどこかに引っ掛かるものがあり、帰り際にA君に声をかけた。が、釈然としない様子の「先生さよなら」と共にA君は帰っていった。
次の日の放課のことである、日課となっている日記にコメントを書いていると、前日の20分休みの出来事をA君が客観的に見ている日記に出くわした。そこには、B君とB君の周りの子たちがA君をからかったことが喧嘩の発端であることが書かれていた。
翌日の朝、A君が来るのを昇降口付近で待ち、偶然を装いつつ、教室まで並んで歩きながら、そのことについて触れた。A君は、今までもずっとそうだったこと、暴力は悪いけどB君たちも悪いことについて不機嫌になりながら話をしてくれた。彼の表現を借りると、「いつも自分が悪者」だったと。その日、教室で彼らの様子を見ていると、A君を「イジル」ことによって、楽しんでいる様子が見え隠れするようになってきた。きっとA君はずっと我慢してきたのだろう。
その日から、他人とちょっと違った特性を持っているA君の失敗や言動について、直接的に叱ったり指導したりするのではなく、うまく笑いをとりながら、指導することを心掛けるようにした。また、クラス全体には他人を「イジル」ことがよくないことも伝えた。そして、何かもめ事が生じたときには、事実は事実として受け止めつつ、それまでのプロセスや、そこに関係した子どもたちの思いに、耳を傾けることを大切にするよう心掛けた。気がつくと、クラスは笑顔にあふれ、あたたかい雰囲気が感じられるようになっていた。
A君とは2年の時を共に過ごした。日記がきっかけではあるが、彼と出会ったことで、「笑顔」と「暖かい雰囲気の空間」ができるための何かたいせつなものを学んだ。