私が中国の天津日本人学校に赴任していたのは、北京オリンピックが開催された2008年の春から、東日本大震災直後の2011年3月までという激動の時期でした。3年間で私の中で芽生えた確固たる思いを紹介します。
1つ目は、日本という国の素晴らしさです。日本人学校は、私立学校のようなものです。現地の日本人社会の要望に基づき、国と民間がスクラムを組み、子どもたちが日本にいるのと同じような教育を受けられるように設立されます。そのような環境や体制が整えられる日本という国に感心させられました。また日本では、衣食住そしてサービスが整い、良質なものが簡単に手に入ります。人々が快適に過ごせるように、より質の高いものが提供される日本の素晴らしさを改めて実感しました。
2つ目は、中国の町や人々に対する愛着です。日本では当たり前のことが、中国ではそうでないことが普通です。何かを求める時は、自分で探さなければなりません。そして、自分で選択したことには、必ず自己責任が伴います。だから中国の人は、より快適に生活するために、何に重点を置き、何は妥協するのか一人一人が考え、工夫するのです。そのたくましさは、日本人にはないよさだと言えます。日本人学校の児童生徒は、工夫して生活する中国スタイルにうまく適応することで、制限された環境下でも生活を充実させていました。私たちも少し刺激的で、人間くさい中国生活を楽しみました。そんな中国の町や人々にとても愛着を感じています。
3つ目は、家族のありがたさです。中国では家族と一緒にいる時間が長く、日本にいた時のように、気軽に友達と会うこともできません。中国語がほとんど話せなかった私は、町に出ても限られた関わりしかできません。だからこそ家族との時間は、とても密度の濃いものとなりました。精神的にきつい時や、不自由なことがあっても、家族といれば居心地のよさに変わっていきました。家族で中国にいるからこそできる体験をした時は、幸福感に包まれることも多々ありました。私は家族に支えられている、家族の存在はなんとありがたいものだろうと、しみじみと感じました。おそらく日本にずっといたら、味わえなかった感情だと思います。
このように、中国での3年間は、私の価値観を大きく変えた一生の宝物となりました。