特別支援学級の講師の私に与えられた教育内容は、「小学校1年生と階段の昇り降りをすること」でした。目標は、「一人で階段を昇り降りできること」。何か月繰り返しても目標達成はできず、私は、虚しさとともにその任を離れました。数か月後に、その学級を訪問した時のことです。ある子が休み時間が終わっても教室に戻ってきません。近くにいた児童に聞いたら「一人で3階にいたよ。」という言葉が返ってきました。(3階ね。一人でね。)何気なく心の中で復唱した時、衝撃に襲われました。「できたんだ!階段昇降!」。あれから数十年、今も、教育に対する意欲の原点となっています。
初任者として5年生の担任をしたある日、いつもおとなしく、叱られることなどなかった子をやや厳しい口調で叱りました。その子は明らかに動揺した様子で、涙を浮かべて帰宅しました。心配ですぐ保護者に電話をしました。「先生、今日はありがとうございました。子どもが泣きながら帰ってきて『先生に初めて叱られた。』って喜んでいました。」という母親の言葉。あれから数十年。今も、教育に対する洞察の原点となっています。
この子ども達が成人した後、集まりました。残念ながら10代の後半にいろいろ苦労をした子がいることを聞き、「彼が小学生の時に、もっと何かできたかもしれないなあ。」と思いを語ったら、教え子に「先生、それは違うよ。先生の教わったことはたくさんあるけど、それが全てじゃない。彼の人生は、彼の責任なのだから。」とたしなめられました。あれから数十年、今も、教育に対する謙虚さの原点となっています。
私にとって教育とは、日々の教育の営みで、被教育者からの有形・無形の教えを学び続け、自らの教育活動を高め続ける終わりのない追究の道であると思っています。
東京都品川区立後地小学校校長
石出浩朗
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