「教育」は、「教えて」「育てる」と書きますが、「恐育」「強育」「競育」「脅育」「狂育」「叫育」「凶育」「鏡育」「矯育」「怯育」「響育」「興育」「協育」「郷育」「胸育」「共育」など「きょう」の字が付く「きょう育」はたくさん考えられます。先輩の先生から「今日行(きょういく)」と書くこともあると教えていただきました。「雨ニモマケズ…」で始まる詩の中で、宮沢賢治さんが大切にしていた言葉があるそうです。
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
それは、宮沢和樹さん(宮沢賢治さんの弟清六さんのお孫さん)によると、「行ッテ」という言葉だそうです。その場所に行って自分の身を置くこと、そこに行ったこと、ここに来てくれたことにより、双方向の「絆」が生まれます。
映画「風に立つライオン」は、原作が「歌」(さだまさしさん)という一風変わった作品です。医師である航一郎は、アフリカのケニアにある病院から派遣要請を受け、戦場の病院に行きます。重傷を負って次々と運ばれてくる少年兵たちは、皆麻薬を打たれ、戦場に立たされていました。ある日、病院に少年兵のンドゥングが担ぎ込まれます。彼は深刻な心の傷を抱えていました。帰国した航一郎は、任務は終了しているのに再びケニアの戦場の病院に行って、ンドゥングにあえて「銃」のおもちゃをプレゼントします。その後、医師になったンドゥングは東北の石巻に行って、とうもろこしの種を蒔きます。震災後の廃墟にうずくまる少年に、日本語で航一郎の口癖だった「オッケー、だいじょうぶ」と呼びかけます。
「深雪せる野路に小さき沓(くつ)の跡 われこそ先に行かましものを」。信州伊那谷西南端の平谷村に、歌碑が建っています。この歌は、大正から昭和にかけて、この村で44年の生涯を終えた林芋村(はやしうそん)先生が詠んだものです。ある大雪の朝、先生はお母さんとの会話に手間取り、慌てて山道を駆け下り街道へ出ると、真白な雪の野路には既に、点々と小さな沓の跡が…。「われこそ先に行かましものを」必死に追いかける先生は、心の中で何度も「すまぬ」「許せ」「冷たかろうに」とつぶやいたに違いありません。
「先生、この問題わからない」「さかあがり教えて」「ひまわりの花びらがうまく描けない」。私にとって「教育」とは、学校へ、教室へ「今日も行く」こと。先生方、「今日も学校へ行きましょう」。「子どもたちが待つ教室へ行きましょう」。