18歳まで、故郷である福岡県で育った私は、山口大学教育学部で大学生活を過ごしました。その4年間で出会った大学の恩師の先生方、多くの経験を積ませてくれた山口県に魅了された私は、両親の反対を押し切り、山口県の中学校社会科の採用試験を受験しました。
結果は、不合格。両親には、再度、福岡県に戻るよう諭されました。しかし当時の私は、山口県で講師を経験する道を選択しました。「教員として、自分の力でやっていける!」という自尊心があったのだと思います。
大学卒業時に「小学校で社会科を教えたい!」と感じた私は、小学校教員へと進路変更し、講師として山口県内の大学附属小学校で勤務しました。
そこでの1年間は、失敗と反省の連続でした。いかに自分の視野が狭かったのか、見えていなかった世界があったことに気付きました。先生方から日々厳しくも優しい示唆を受けながら、教員としての学校生活を過ごしました。同僚の先生方の背中に憧れを抱きながら、「いつか自分も追いつくことができるように…」と、授業での立ち振る舞い、子どもとのかかわり方を学び続けた毎日でした。この1年間は今でも私の財産です。
その上、私にとって幸せだったことは、身近に「学びの場」があったことです。山口県内の小学校の先生が集まり、社会科授業について語り合う「社会科実践研」というサークルで、多くの先生方の実践や社会科への思いを学ぶことができました。また、山口大学で、若手教員や臨時採用職員、大学生を対象とした「ちゃぶ台コーホート」では、同世代でのグループワークや実践交流などの教職研修を積むことができました。知見はまだまだ浅かったけれど、自分たちなりによりよい教員の在り方について語り合う場があったからこそ、切磋琢磨していくことができました。
そして、現在の学校で勤務している私はというと、相変わらず失敗と反省の連続です。それでも、子どもを愛し、社会科を愛し続けることができるのは、やはりあの1年間のおかげなのです。
これからも、縦と横のつながりを大切にしながら、学び続ける人間でありたいと思います。