【辞めようと思う】
ケイさんから電話があったのは、銀杏並木が色づき始めた頃だった。
「教師を辞めようと思います」震える声で、それだけ言うとケイさんは黙り込んだ。
「ともかく話を聞きたい」と伝え、その日の夕方に会う約束をした。
ケイさんは都内の大学に在学している時から、民間の教育研究会に参加して熱心に学んでいる青年だった。(教師になりたい)という強い希望を胸に、講師勤務を経て正規教員として本格的に教師生活をスタートさせた。
そんなケイさんが語ったのは、正規教員1年目にめざした授業・クラスづくりが思うようにできないスタンダードとリスク管理が蔓延する学校の現実だった。
【優先順位を考えて】
正規教員になった4月、ケイさんを待っていたのは講師の時にはなかった校務分掌の山だった。
子どもたちと過ごした時間が、週案・初任研レポート・英語レポート・学校HP作成・成績処理ソフトづくりなどの書類作成と校務分掌処理に費やされていった。
そんな中、できるだけ書類作成より授業準備を優先しようとしたケイさんの週案簿には、管理職からの「優先順位を考えて」の付箋が貼られていた。
そして、保護者対応トラブルを機に「初任なのに特別なことばかりしている」「謙虚さが足りない」と管理職はケイさんを叱責し、同学年(2クラス)の主幹もケイさんへの非難に加わった。この特別なこととは教科書を使わない「こだわりの授業」であり、謙虚さとは「書類作成」を優先することだった。
【踏みとどまれた】
一方、ケイさんは子どもたちと父母から信頼されていた。
トラブルを訴えに来た父親からも最後には「先生には頑張ってもらいたい」と励まされた。
ケイさんは、踏みとどまることができた。子どもたちの笑顔、親の励まし、職場や研究会の仲間に支えられて。
そして、踏みとどまった後のケイさんは、書類提出を簡便に行うノウハウやスタンダード管理をかわす術も身につけはじめ、以前にも増して授業・クラスづくりに取り組んでいる。
子どもは一人一人が個性という「ちがい」をもっている。この個性に寄り添おうとする誠実で良心的な教師が、ケイさんのように踏みとどまることができるかどうか。
数値評価や合理化追求が強化されている学校は今、危機的な試練を迎えている。
*本稿は現実にあった事例を、筆者の責任で文章化したものです。