清掃時間のことです。児童に労いの言葉を掛けながら、箒の持ち方などを指導して校内を回っていると、「校長先生、『境目の1メートル』をやってます!」と、児童が声を掛けてくれました。ほかでも、たくさんの子が実践してくれているのを聞いて、とてもうれしく思いました。「境目の1メートル」とは、学校朝会の折に、清掃するときの心掛けを説いた講話の題名です。この話は、私が教師になりたての頃、大先輩の先生(以後K先生と記す)から教えていただいたことが基になっています。その内容はおおよそ次のとおりであったと記憶しています。
K先生の中学校は、美しい学校を誇りとして、それぞれのクラスが競い合うように清掃活動を行っていたそうです。あるとき、K先生は、隣のクラスの生徒が1メートルほど掃除分担の境を越えて廊下を磨いていることに気付き、その訳を担任の先生に尋ねたそうです。すると、「責任をもって掃除をすることは大切だが、分担区域だけという意識が強いと境目が雑になる。本当にきれいにしようとするなら、境目付近をたとえ1メートルでも双方から重ねて掃除することだ。これは、生徒同士の人間関係も同様だ。こっちはこっち、そっちはそっちという態度では、何事もそうした心が働くようになる。境目の1メートルは、すべてにわたる私の教育姿勢である」と言われたそうです。K先生は、自分のクラスの生徒と比べて、「確かに、隣の生徒は、自分のクラスのようにぎすぎすしていない。和やかな秩序と独特のいい雰囲気が感じられる」と思ったそうです。そして、K先生の話は、「教師の人柄や姿勢、考え方などが大きく作用し、教師の質の差がクラスの差となって表れる」という言葉で結ばれていました。
私は、K先生の「教師の人柄や姿勢、考え方などが大きく作用し、教師の質の差がクラスの差となって表れる」という言葉に心を打たれました。そして、日々の清掃活動一つをとっても疎かにすることなく、教育の目標を達成するための教育指導の場であるという意識を高くもって丁寧な実践を重ねることが、“心優しく協働性豊かな人間の育成”につながり、やがては“和やかな秩序とよい雰囲気の地域社会”を築くことにつながるのだということを教わりました。以降、この「境目の1メートル」の精神が私の教育指導の拠り所となっています。私にとっての“教育”、それは学力や体力とともに、心豊かな人間を育て、よりよい社会を築くための営みです。