大学4年次を振り返ると、就職活動を行いつつ教育実習(3週間)も履修していたため、慌ただしい日々を送っていたのを思い出します。就職氷河期の終盤であったとはいえ、就職活動は30社以上にエントリーシートを提出し、内定をもらえたのは1社のみでした。厳しい就職活動でしたが、大手繊維メーカーの医療部門に総合職として内定をもらえた経験は、今現在も自分の糧となっています。入社すると人工透析事業部の営業職として配属され、病院のDr.、臨床工学技士、事務長といった方々が取引相手となりました。会社から求められるのは実に単純明快で、「予算達成」でした。売上、利益、市場占有率(シェア)、本数(人工腎臓)、台数(人工透析装置)の予算をそれぞれ達成することで、自分の仕事が評価されるのです。交渉術や販売方法に正解はなく、自分自身の創意工夫によって予算を達成していくことにやりがいを感じていました。入社4年目で東京営業部(関東地区)のMVPを受賞し、6年間務めたところで転職に踏み切りました。
転職先は東京都の公立高校です。「きっかけは?」と聞かれれば、やはり大学4年次の教育実習の経験が、いつまでも頭の中から消えなかったからです。企業人として満足しつつも、深層心理では教師になりたいと思っていたのですね。教職についてから10年が経ちますが、企業の総合職との違いは、「育成するもの(対象)の違い」ということになるでしょう。企業の総合職は自社製品が売れる市場を育てること(いわばマーケティング)が仕事になりますが、教師が育てるものは「人(生徒)」なのです。では、どのような生徒を育てれば教師の仕事として正解なのでしょうか。難関大学に合格させること、センター試験で高得点を取らせること、部活動で上位大会に進出させること、いじめのないクラス運営をすること、転退学者を出さないこと等、教師に求められることは様々であり、数値化できるものもあれば、数値化できたとしてもそれが本当に評価されるべきものなのかは分からなかったりします。教師に求められるものは、実に単純明快ではなかったのです。
では、教師は何を目指すべきでしょう。企業の総合職と公立高校の教員を経験してみて、共通して言えることが一つあります。それは、いま自分がいる「場所」で、自分の目の前にいる「人」に対してどれだけ力を注ぐことができるかどうか、それによって育成する対象の成長度合いが大きく異なるということです。これは企業にいても学校にいても変わりません。昨今の働き方改革で求められている仕事の効率・能率を上げることはもちろんですが、それ以上に熱量が必要であるということを忘れてはなりません。このように感じてしまうのは、製品性能よりも信頼関係が上回った企業での経験や、教育困難校の素人集団が大会で勝ち上がっていく姿、難関大学の一般入試に果敢に挑戦していく姿を教師として目の当たりにしてきた経験からでしょう。企業と学校、総合職と教職、それぞれに様々な違いはありますが、両方を経験してきた身としては、そこに本質の違いがあるとは感じていないのです。