中学校の音楽科教師として、30数年間勤めてきました。定年も間近になった一昨年のある日のこと、かつての教え子であるA君から、一通の手紙が届きました。私が新卒で採用され、初めて学級担任となり、持ち上がって卒業まで送った学年のひとりです。在学当時から、音楽的なセンスにはキラリと光るものがありました。心やさしい男の子でした。卒業後は音楽の道に進みたい、ピアノをもっとしっかりと習いたいという希望を聞き、私は、高校、大学時代に師事した恩師、H先生を紹介したのでした。
レッスンの様子を尋ねると、自分にとても合った教え方をしてくださる、本当にいい、とすこぶる満足している様子でした。彼はその後音大にすすみ、合唱に目ざめていきました。現在は合唱指揮者として活躍しています。
A君とはしばらく連絡はとっていませんでした。あらたまった手紙に、胸騒ぎがしました。その予感は的中してしまいます。H先生が倒れられたというのです。伴奏をつとめる合唱団の練習に向かう途中だったのが不幸中の幸い。先生は一人暮らしです。これが家の中だったらと思うとぞっとします。救急車で運ばれて入院、手術。一命は取り留められました。
A君は仕事柄情報が入りやすかったとはいえ、一門の中でただ一人、いち早く先生のもとに駆けつけ、定期的にお見舞いに通っていたのでした。
先生は最初、どうして分かったのかと驚かれていた、心配をかけてはいけないからと他のお弟子さんには漏らさないよう堅く口止めされたそうです。退院後も週に一度お茶、食事をご一緒するうち、ようやくお許しをいただいて、こうして手紙をしたためたということだったのです。 翌週から、私も会食に加わらせてもらいました。仕事の都合もあって、毎回とはいかないのですが、A君は欠かすことがありません。頭が下がります。
その後、私は年明けの3月に定年を迎えました。現在は、非常勤教員として、引き続き学校教育に携わっています。現在勤務している学校は、30年前、ちょうど昭和から平成の世になった年度から10年間勤めていました。A君に出会った初任校の次に赴任した学校です。
当時の中学生が、保護者世代になっています。私は、親子二代にわたって音楽を教えているのです。日々、教育の場に身を置くことに、厳粛な思いを新たにします。
H先生は、すっかり顔色も良くなり、声にも張りが戻ってきました。ご健康、ご長寿を祈りつつ、私も、もうひとがんばりを続けていきたいと思います。