令和2年4月、私は、教育委員会の指導主事になりました。学校現場とは違い、目の前に子ども達がいませんが、学校を行政という立場から見ることができ、学ぶことが多いと実感しています。学校訪問に行くことが楽しみになり、外で元気に遊んでいる姿や真面目に授業を受ける姿を見ると、自然と笑顔になります。
今年度、若手教員育成研修会の担当を任されました。研修を運営していると、まるで担任になったような気分になります。私も初任者のような立場ですので、一緒に楽しく、若手教員にとって成長につながる研修となるように運営しています。ここでは、若手教員の授業を観察し、指導助言する機会があるのですが、指導助言の際に、私は、最初に必ず質問することがあります。それは、 「今日の授業は、子ども達のためにできましたか。」です。
私は、体育科の研究を若手教員の頃から続けてきました。運動が得意な子も苦手な子も活躍できる授業にしようと参考書を買って読んだり、体育の授業を参観したりして、毎時間、教材や教具を工夫して臨んでいました。授業を通して、できなかったことができるようになった時の子どもの笑顔は本当に素敵で、私も一緒に喜んでいました。ですが、中堅教諭と言われ始めた頃から、体育の授業の中でなかなか子ども達の反応が冴えません。若い頃よりも指導に幅が出て、助言も的確にできるようになってきたはずでした。
そんな時に、体育を専門とする指導主事に私の授業を参観してもらう機会がありました。これまで自分が学んできたことを見てもらおうと、力を入れて準備し、授業に臨みました。授業は、私自身、ねらいは達成でき、指導案通りの展開で終わることができました。授業後に、指導主事から「今日の授業は、子ども達のためにできましたか。」と聞かれました。何も答えられませんでした。その頃の私の授業は、子どものためではなく、自分のための授業になっていたことを思い知らされました。子どもの反応が冴えない理由も見えてきました。何度も行っている授業も、その時々で子どもの実態は異なるもので、目の前の子どもの実態をよく把握し、指導することが求められることをその時に教えられました。また、改めて授業の在り方を再考するきっかけとなる出来事でした。
教員生活が進むにつれ、指導方法が確立されたり、校務分掌や事務作業などに追われたり、「子どものため」という思いが忘れがちになってしまうことがあります。忙しい日々の中で、1日1回、自分に聞いてみませんか。「今日の授業は、子ども達のためにできましたか。」と。