私の父は教員でした。父は私が今働いている米山中学校に14年勤めました。私も今回2回目で、計9年間勤めています。親子で米山中学校には大変お世話になっています。物心ついた時一番身近だったのは、仕事は「学校の先生」ということでした。先生は子どもにとって親の次に近くにいる大人。当時、私は教員の子どもであることにちょっぴり優越感を感じていたように思います。その父は生涯で3度仕事を変えました。3つ目の先生という仕事は気に入ったらしく定年まで続けたので、思い出の父は先生の姿しかありません。
キャリア教育の学習の時には「将来、何になりたいのか」という質問を生徒にします。少子高齢化による社会の変化、ニートや引きこもりの増加、今ある仕事は数年後になくなる予想等々、明るい話題は少ないように思います。一方で職員室に戻れば、今の私の職名は主幹教諭。「夢を持ち、先生になった」若い先生方に対して何をアドバイスすべきか、日々悩みます
最近思い出すのは、先輩の先生のことです。
前任校は先の震災で建物が被災し、立て直しを余儀なくされました。新校舎ができた年、私は初めての教務主任を命じられました。新しい建物と校務分掌、何から手をつけたらいいか全くわかりません。
その年の転入者の中に前任校で教務を勤めた先生がいました。その先生は学年主任を担当しましたが、初教務の私とは経験も実力も違います。私は恥を忍んで何から何まで教えてもらいました。管理職との連絡調整の仕方、教育課程の管理の方法、そしてなにより仕事をする上での心構え。その先生との数年が、今の私の考え方の大部分を作っています。
私は、教員とは専門性の高い技術職であり、特殊なサービス業だと思っています。そのノウハウは「師匠と弟子」のように目標となる人から学び取るものだと考えます。その際、自分が弟子になる覚悟があるか、また目標となる人として、師匠になる覚悟があるかが問われます。両者の覚悟がないまま、形だけをなぞってもお互い苦しい思いをするだけです。
若い先生と話をする時、もう一人の自分が問います。「あなたは弟子になる気があるのか。そして、私は師匠となる気があるのか」と。やはり自分はまだまだです。
私事ながら、この3月、父の十七回忌を迎えます。同時期に教員であった期間は短いので、私は父の仕事ぶりはわかりません。草葉の陰で、できの悪い息子を不甲斐なく思っていることでしょう。しかし、このような形で父の思い出を書けたので、多少の供養にはなったかと思います。色々な御縁があり、原稿を書かせていただきました。まだまだ若輩者ですが、私自身、師匠となる覚悟がもてるように日々研鑽をしていきたいと思います。