コーヒータイムな話
「せつないって何?」
と聞かれたら、どう答えますか?
ある日の宿題に出してみました。すると、子どもからおもしろい返事がたくさん返ってきました。
「私は、せつないと悲しい・さみしいを比較して考えてみました。」
「辞書には、悲しいとか寂しいって書いてあったんですけど、僕の感覚と違うんですよね。これ、僕が『せつない』って言葉を知らないってことなんですかね。」
「Aさんが、B さんのことを好きだとしますよね。それで、Bさんは、実はC さんのことが好きだったとしたら、それ、せつないってなります?」
「言葉じゃうまく説明できないから、色で表してみました〜。」
「んん、わかんないけど、絵にするとこんな感じ?」
詩人谷川俊太郎さんは、詩を書く時に自分の言葉を空っぽにするそうです。空っぽにしないと次の言葉が出てこないというのです。「せつない」話と共通しているのは、言葉にならない「何か」に対して、触手を伸ばすという探索的動力。どこにあるか、いつであうのか、わからない。わからないけれど多分あるだろう世界をおっかなびっくりつかみとろうとするその外向きに働くベクトルです。
「せつない」を考える隙間すらない日々が教員の現状だけれど、「教育と人」にとって確かに必要だと思えるものって実はそう多くはないのかも知れません。
言葉を信じながらも一度裏切ってみる、言葉を大事にしながらも一度言葉を捨ててみる。Creation は、そういった隙間のようなものから生まれるものなのでしょう。
さ、まずはコーヒーでも飲んで、あなたの「せつない」の答えを探してみませんか。
「そんなこと考えても、やっぱり同じ教育の景色にしかならないじゃないか!」と、たとえなったとしても、『トゥルーマン・ショー(The Truman Show)』(1998)のトゥルーマン・バーバンクが最初と最後に放った言葉「会えない時のために、こんにちはとこんばんは」の意味は、言葉は同じとしても違うように、自らで掴んだ言葉は、あなたを形作っていくはずです。